前回の予告を変更させていただきまして、今回は第2回まちあるき記 新潟県小千谷市をお送りしたいと思います。
3月4日5日と北陸信越地区協議会の役員会議で小千谷市を訪れました。新潟ブロック協議会中澤会長をはじめとする(社)小千谷青年会議所の皆様のご好意により、バスで市内を見学させていただきました。(写真は、今回案内していただいた(社)小千谷青年会議所 位下寿生君(左)と高橋重尚君(右)です)
小千谷市は、新潟市の南に位置し、2004年10月23日の新潟県中越大地震で震度6
強と最大のゆれを記録した場所です。バスで市内を走る中、一見は復興が終わっているようにも見えましたが、傾いたまま使用されていない建物や崩壊した建物を取り壊したと思われる空き地が点在し、完全なる復興にはまだまだという状態でした。新潟県全体でも、未だに8000人もの方が仮設住宅に住み(2006年1月15日現在)、その内の約30%もの人が仮設住宅から出られる見通しがないということでした。
さて、最初に連れて行っていただいたのが、信濃川沿いの「妙見」という場所です。ここは、新潟県中越大地震で車ごと土砂の崩壊に飲み込まれた皆川優太ちゃんが奇跡的に 救出された場所です。地震から1年半が経過しているにも関らず、現場は当時のままで、
その災害の大きさを改めて感じました。また、この崩落した場所が、小千谷市と長岡市にまたがっているために、復旧方法や費用面など、その調整に非常に時間がかかっているとのことでした。ちなみにすぐ横にあるJRのトンネルは、すぐに復旧されたそうです。
次に連れて行っていただいたのが、千谷工業団地にある仮設住宅です。「被災者の方々がすむ場所に見学に行ってもいいのか?」と気がひける中、駐車場にだけおりて現状を見させていただきました。当時、避難所や仮設住宅は確認されただけでも130ほどもあったそうです。仮設住宅は、まとまった大きさの土地が必要なため、その多くが運動場や公園の中にあり、この仮設住宅も千谷工業団地の野球場に建てられていました。先述の通り、県内で未だに8000人もの方が仮設住宅にすむことを余儀なくされている中、学校のグランドにもまだまだ仮設住宅が残っており、子ども達の運動の場も確保されていないとのことでした。
以上、2ヶ所を案内していただいたのですが、今回の見学を通して感じたことは、持続的な支援の必要性でした。私も地震が起きた直後は、物資の支援や募金など、復興に協力したつもりでしたが、今ではその地震の記憶もマスコミに取り上げられた時に思い出すものとなってしまっています。被災直後の支援も重要ですが、被災者の方々の生活を再建出来るような持続的な支援も、非常に重要なのではないでしょうか。私もこのブログへの記載とお土産の購入にて、微力ながら貢献の第一歩としたいと思います。
自分達も非常に苦しい中、「立ちあがれ中越プロジェクト」など、一生懸命に活動されている(社)小千谷青年会議所の方々に敬意を表します。
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